2024年は下田開港170周年の年!
嘉永7年(1854年)3月、「日米和親条約」の締結により、下田と函館が日本で初めての開港場となりました。米露を中心とした諸外国との交流が行われ、下田は歴史の表舞台に立つことになりました。下田開港170周年を祝う機運を高めるため、記念事業を実施していきます。下田開国博物館 所蔵
もくじ
◆ 関連(冠)事業紹介!◆ 下田開港170周年(冠)事業を募集します!
◆ 連載記事「開国のカケラを集めて」
◆ 下田開港の歴史
◆ その他、下田の歴史や見どころについてはこちら!
◆ お問い合わせ
関連(冠)事業紹介!
下田開港170周年を記念した事業や関連イベントを紹介します!
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下田開港170周年(冠)事業を募集します!
下田開港170周年記念冠事業を募集しています。
冠事業の承認を受けると、特設ホームページ、市公式SNS等での広報を致します。
冠事業については、「下田開港170周年記念〇〇」というように、冠事業の名称を使用いただき、
また、冠事業広告媒体でのオリジナルロゴを使用をお願いします。
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連載記事「開国のカケラを集めて」
2024年の1年間、下田開港にちなんだ連載記事を掲載しております。詳細はこちら(総集編)
広報しもだ掲載記事はこちら
広報しもだ令和6年1月号10-11頁(pdf 4,813kb)
広報しもだ令和6年2月号6-7頁(pdf 1,950kb)
広報しもだ令和6年3月号6-7頁(pdf 3,775kb)
広報しもだ令和6年4月号12-13頁(pdf 4,092kb)
広報しもだ令和6年5月号8-9頁(pdf 4,858kb)
広報しもだ令和6年6月号10-11頁(pdf 1,863kb)
広報しもだ令和6年7月号4-5頁(pdf 3,304kb)
広報しもだ令和6年8月号8-9頁(pdf 2,917kb)
下田開港の歴史
西暦 | 事項 |
---|---|
1842 | 下田奉行再置、奉行に浦賀奉行小笠原加賀守が任ぜられる。 |
1843 | 幕府が州佐里崎・狼煙崎に、沼津藩が三穂ヶ崎に御台場築造。 |
下田町書役、平井平次郎『下田年中行事』完成。 | |
1844 | 下田奉行土岐丹波守、浦賀奉行に転じ、下田奉行は廃止。 |
1853 | ペリー艦隊、浦賀沖に来航。 |
プチャーチン、長崎に入港。 | |
1854 | ペリー、軍艦9隻で神奈川沖へ再来航。 |
日米和親条約12ヶ条、神奈川で締結、下田開港。 | |
ペリー艦隊7隻、順次下田来航。 | |
下田奉行再々置、初代奉行に伊沢美作守が任命される。 (宝福寺、稲田寺が仮奉行所となる。) | |
ペリー下田上陸。了仙寺で接待をする。 | |
吉田松陰「踏海の企て」、柿崎弁天島より漕ぎ出すも失敗。 | |
日米和親条約付録下田条約13ヶ条を了仙寺で調印、欠乏品の供給を決定。 | |
ペリー、目的を達して下田を去る。 | |
プチャーチン、ディアナ号で下田に来港。 | |
プチャーチンと川路聖謨が福泉寺で日露交渉を行う。 | |
大地震・大津波で下田は壊滅状態、ディアナ号大破。 | |
1855 | 日露和親条約9ヶ条と付録4ヶ条を長楽寺で締結。 |
プチャーチン、ヘダ号で帰国。 | |
下田奉行所、中村に完成。 | |
1856 | ハリス、駐日アメリカ総領事として下田来航。 |
ハリス、玉泉寺入り、玉泉寺は日本最初のアメリカ総領事館となる。 | |
1857 | お吉、玉泉寺へ出仕。 |
下田協約が調印される。(日米貨幣交換比率改定等) | |
ハリス、江戸へ出立。 | |
1858 | 日米修好通商条約、神奈川沖碇泊のポーハタン号上で調印。 |
1859 | 横浜開港、ハリスが下田を去り、玉泉寺領事館閉鎖。 |
下田開港場が閉港。 |
その他、下田の歴史や見どころについてはこちら!
・下田の歴史 | 下田市 (city.shimoda.shizuoka.jp)
・みどころ | 下田市 (city.shimoda.shizuoka.jp)
・文化財 | 下田市 (city.shimoda.shizuoka.jp)
・下田まち遺産一覧 | 下田市 (city.shimoda.shizuoka.jp)
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