名称 | 黒船祭 |
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みどころ | 黒船の来航と開国を記念した下田最大の祭典です。まち全体が開港当時の情緒で彩られ、着物姿の人々が街中にあふれます。海上花火大会、米海軍、海上自衛隊の音楽隊が出演するパレードやコンサートなど、国際色豊かなイベントが行われ、下田を大いに盛り上げてくれます。 |
日時 | 5月の第3土曜日を含む金、土、日 |
場所 | 伊豆急下田駅よりすぐ(下田市街各地) |
駐車場 | あり(市内各所) |
関連ページ |
第80回黒船祭 海上花火
黒船祭 記念式典
【背景と沿革】
徳川幕府による鎖国政策は、嘉永7年(1854)神奈川において締結された日米和親条約により、その門戸を下田を開港地として近代世界に開かれました。和親条約交渉中にすでに米艦は下田に来航し、港内の測量を実施しており、これ以後、通商条約で横浜開港となるまでの間、下田は開港地として日本外交の中心舞台となりました。下田「鼻黒」に上陸したペリー一行は、「了仙寺」において、日米和親条約附録13か条の締結交渉をおこない、林大学頭をはじめとする日本側全権団との間に調印を取り交わしました。また、安政3年(1856)サン・ジャシントン号により下田に来航したハリスは、米国初代駐日総領事として、柿崎「玉泉寺」に星条旗を掲げ、安政5年(1858)には日米通商条約締結に成功しました。
その後、総領事館が麻布「善福寺」に移り、開港場としての下田の役割は終えることとなりましたが、近代日本の夜明けとなり、「下田が西洋世界への窓口としてその伝統を生かしつづけ、また、日米両国の関係育成に重要な役割を果たしつづけている。」(元駐日米国大使マイケルH.アマコスト氏)という歴史的背景から、下田開港につくした内外の先賢の偉業を顕彰し、その偉大なる功績を永遠に記念するとともに、併せて世界平和と国際親善に寄与することを目的として、黒船祭が開催されることとなりました。
開港80周年を記念した第1回黒船祭は昭和9年、4月20日から5月3日までの2週間にかけて行われました。来賓であったグルー駐日米国大使夫妻、野村吉三郎海軍大将等は軍艦「島風」で下田港に入港し、開港先賢慰霊祭を中心に、仮装提灯行列、開港記念展覧会、連日の花火打上げ、黒船に艤装した遊覧船による港内・神子元石廊崎方面への航行、黒船音頭等の発表等、数多くの催しものが盛大に行われました。
その後「黒船祭」は、国際的な観光行事として、下田の観光の目玉と読めるまでに定着していきますが、太平洋戦争の勃発により、昭和16年から昭和21年までの6年間は開催できなくなります。しかしながら、終戦後、昭和22年に再開を果たすと、国際親善を体現する日米交流の場として、更には下田のまちが活気づく観光の一大イベントとして、年ごとに盛大に発展していきます。
黒船祭は、今後も下田開港のシンボルとして、また日米親善の場として歩みを続けていきます。みなさんもぜひ、黒船祭に参加して、幕末の風情と賑わいを感じてください。
【黒船祭の経過と歩み】
第1回黒船祭歓迎アーチとグルー大使夫妻
グルー米国大使夫妻柿崎弁天島棧橋上陸
黒船祭式典会場(旧下田小学校々庭にて)
年 | 出来事 |
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弘化3年(1846) | 米国提督ビッドル浦賀に来航 |
嘉永2年(1849) | 英艦マリーナ号下田入港 |
嘉永6年(1853) | 米国提督ペリー浦賀来航、開国を求める。 |
嘉永7年(1854) |
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安政元年(1855) | 日露和親条約を下田「長楽寺」で調印 |
安政2年(1855) | 仏艦コンスタンチン号下田入港 |
安政3年(1856) | 米国駐日初代総領事タウンゼントハリス着任 |
安政4年(1857) | ハリス天城越えで江戸へ |
安政5年(1858) |
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安政6年(1859) |
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明治41年(1908) | 米露兵の合同慰霊祭(開港50年記念) |
大正14年(1925) | バンクロフト米国大使を迎え歓迎会、花火大会及び提灯行列実施(開港70年記念) |
昭和2年(1927) | ハリス記念碑除幕式(マクベー米国大使出席) |
昭和9年(1934) | 第1回 黒船祭開催(開港80周年記念) |
昭和14年(1939) | 第6回 日米児童交歓会 |
昭和15年(1940) | 第7回 日米児童生徒交歓会 |
昭和16〜21年 | 中断 |
昭和22年(1947) | 第8回 再開 |
昭和23年(1948) | 第9回 日本国旗掲揚が許可 |
昭和28年(1953) | 第14回 ペリー.ハリス開国記念碑除幕 |
昭和33年(1958) |
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昭和35年(1960) | 第21回 日米修好の碑除幕(日米修好通商100年記念) |
昭和37年(1962) |
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昭和41年(1966) | 第27回 ペリー艦隊来航記念碑建立 |
昭和49年(1974) | 第35回 準備万端も伊豆半島沖地震により中止(米海軍より救援物資が届く) |
昭和54年(1979) | 6月 ジミー カーター大統領下田訪問 |
昭和55年(1980) | 第41回 5月12日〜18日迄 1週間開催 |
昭和61年(1986) | 第47回 下田日米協会発足 |
平成元年(1989) | 第50回 記念誌発行 |
平成6年(1995) | 第55回 ペリー生誕200年、日米親善140周年 |
平成16年 (2004) | 第65回 下田開港150周年記念 |
平成17年 (2005) | 第66回 ペリー提督子孫の参加 |
平成18年 (2006) | 第67回 領事館開設150周年記念セレモニー |
平成23年 (2011) | 第72回 東日本大震災により中止 |
平成24年 (2012) |
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平成26年(2014) | 第75回 下田開港160周年記念(日米友好の木「ハナミズキ」植樹式) |
平成29年(2017) | 第78回 ペリー提督子孫の参加 |
平成30年(2018) | 第79回 駐日米国大使が第73回以来6年ぶりに参加 |
令和元年(2019) | 第80回 記念誌発行 |
令和2年(2020) | 第81回 新型コロナウイルス感染症の影響により中止 |
令和3年(2021) | 第82回 新型コロナウイルス感染症の影響により中止 |
令和4年(2022) | 第83回 新型コロナウイルス感染症の影響により規模縮小(土日2日間)開催 |
令和5年(2023) | 第84回 4年ぶり3日間開催 |