旧町名 由来(下田市として正式に発表するものではなく、諸説あるうちのひとつとして紹介)
須崎町 稲生沢川と敷根川の合流点に出現した三角州(須)の先(崎)にできた町。
新田町 須崎町が出来た州を利用してできた新しい町。
殿小路町 海善寺に戸田忠次の居館ができ、その門前通りを殿小路と呼んだため。身分の高い武士が住んでいた。
連尺町 「連尺=連雀(行商人を意味する)」で、海や山からくる行商人が泊まった町。
紺屋町 ①染物屋(紺屋)が多く住んだ町。②荒地(こうや)だったため、それを漢字に当てはめたら紺屋(こんや)となった。
町店町 雨戸を店(たな)に見立てて通りに並べ、その上で商品を売っていたため。今の商店街。
長屋町 小役人、または漁民の長屋があった町。
池之町 下田八幡神社の参道の途中にあった池を管理する人たちが住んでいた町。
原町 葦(あし)が生えていた湿地帯で、原っぱだったため。
中原町 葦(あし)が生えていた湿地帯で、原っぱの中にあったため。
上田町 上田(じょうでん)があった町。 ※上田とは、1反当たり1石5斗の米が出来た良い田んぼのこと。
同心町 下田奉行所の役人(同心)たちが住んだ町。
一町目ともいったが、町名というよりは通りの名前という意味合いが強い。弥治川町の一部。
二町目 同心町(一町目)から北側を二町目、その北側を三町目といった。
三町目 ※二町目を参照。
伊勢町 江戸時代に盛んだったお伊勢参りにあやかるため、商店街の名前を伊勢町とした。
弥治川町 現在ある平滑川は、昔、谷地川(やちがわ)といい、その「やちがわ」に漢字を当てはめた時に弥治川となった町。
大工町 家大工、船大工が住んでいた町。
七軒町 元禄前後の地震と大津波後に家が七軒残ったため。また、埋立てが終わり、新しく七軒の家が建った町ともいわれる。
坂下町 大浦の御番所へ向かう切通しを作ったときに埋立て、大浦坂と城山を背に負った坂の下の町。
広岡町 岡方村と下田町が合併した際に、岡方村の名前を広岡町に改めた。

提案理由:昭和37年5月10日に公布された法律により従来の町名から何町何番に変更されたが、この旧町名を後世に残したいため。
追加情報:旧町名は全20町。江戸時代、天保年間(1830年頃)の地図や旧町内にある石碑を参考にしています。

分野:歴史