上女尊(じょうんなさま)
参照 伊豆の伝説
 上女尊ー村の人達は上女尊(じょうんなさま)と呼んでいる。ーは、箕作龍巣院(りゅうそういん)の本堂におまつりしてある。
 この上女尊というのは堀之内の深根城主播磨守吉信の奥方、 「條の前」(じょうのまえ) のことで、永享7年9月7日、伊勢新九郎長氏(北条早雲) の軍勢が西海岸松崎港に上陸し、深根城を襲撃するという飛報が伝えられたので、城主吉信の家の子郎堂は、直に出陣の用意をして、小松原峠(婆娑羅峠?)の辺まで進み、敵を迎え撃ったが衆寡(しゅうか)敵せず次第に攻め立てられて退却の余儀なきに至った。と此の時、主君に急を告げようとして、走って来た家来の一人が、城内に入るいとまがなかったので「敵軍優勢にして間近く攻め来る」という矢文(やぶみ)を城内に射込んだ。
これを見た吉信は家臣が敵に内通したものと誤信して最早やこれまでと最後の覚悟をきめたのであった。
 この時気丈な「條の前」は単騎長刀を執って街道へ打って出られたが、丁度、生理時であったため、ふらふらと目まいを起し、落馬して人事不省に陥ったのであった。
戦はいよいよ激しく、敵味方入り乱れての混戦となって、とうとう深根城は落ち、奥方「條の前」も落命されてしまったのである。
 條の前戦死の場所には榊の木が植えられたが、今も條の前の勇猛を語るかのように存している。
そして「女の病なら上女様(じょうなさま)に願をかければ必ずなおる。」と言われ、霊験あらたかなので、土地の人たちは言うまでもなく、遠くからお詣りに来る者も多い。
下田市の民話と伝説 第1集より