米山薬師
参照 伊豆の伝説
 日本三薬師(伊豆、越後、伊豫)の一つとして世に知られている米山薬師が箕作(みちつくり)にある。
この薬師如来は釈道牛の「由来記」(文安4年)によると、天平5年5月15日、憎行基がこの地に来られたもので、これを作るのに行基は茶粉と苦芋(ところ芋)と合わせたものを用い、斎戒沐浴、精根を傾けて、漸く48日目に完成、入仏占眼したのは同年10月20日。
この時行基は65才であったという。霊験あらたかな薬師如来さまである。
箕作りの名
 米山薬師のある「箕作り(みちつくり)」という部落の名のおこり。
この箕りに箕作八幡の社があるが、これは「礪杵道作(ときのみちつくり)」の霊を祀ったものである。
持統天皇の御宇、大津皇子の謀叛(むほん)に連座した礪杵道作は、この箕作に流されたが、これが伊豆の国へ流罪を受けた最初の人であった。「箕作」という地名もこの「ときのみちつくり」 から出たものと言われている。
下田市の民話と伝説 第1集より