弘法大師の御墨水
 昔弘法大師が御巡錫(ごじゅんしゃく)の時、密宗の秘法を修した曹洞院は、下田市大賀茂林山にあり、真言の霊場として知られていた。
 曹洞院は、はじめ山号を大師山と称えたが後に少林山と改めた。この寺の山内には「弘法大師の御墨水」として伝えられる清列な水が湧き出ておって「金剛浄水」と呼ばれている。
大師秘法を修業中、裏山に錫(しゃく)を立てそこより清列な水の湧き出たのを硯に取って経を浄書されたという。如何なる旱(ひでり)にも尽きる事がない。
 天文元年(1192)当時ひどく荒廃しておったこの曹洞院を再興して開基となった中村民部少輔宗賢は相州、海沢、新井の二城に拠って、三浦道寸と戦い、敗れて大賀茂に逃れて来たのであった。
その後天保12年12月火災にあい堂字什宝は焼失してしまったが、山門はその災を免れ往時の面影をとどめており、
山門に立ち手を打てば、堂の裏山より鶯の鳴き声ににた応
えがあるので鶯門とも伝えられる。
宗賢は弘治3年(1218)に殺し曹洞院殿竹了宗賢大居士として祀られた。
その遺物の太刀、鎗、兜、鎧、轡等が曹洞院に秘蔵されているという。
 今尚南伊豆に於ける曹洞宗第一の霊場である。
下田市の民話と伝説 第1集より