釜の脇
参照 吉佐美古記録
 源の頼朝公が伊豆国蛭ケ島に配流中、暇を得て伊豆国各地を巡られ、当地吉佐実の仏岩寺(現仏谷山宝徳院)に泊られた。
その頃村中には悪い病気が流行して村人は非常に困り苦しんでいた。
頼朝公は気の毒に思い、本尊の薬師如来様を丁心に信仰され拝まれると、其の夜、夢のお告に「唐鋼(からかね)の茶釜にて銘茶を煎じ諸尊に供養すると共に村人にもこれを飲ませるがよい。
病は快癒すべし。」と、直に頼朝公は入田の浜に炉を作らせ、村人を励まして唐鋼の茶釜を鋳させ、これにて銘茶を煎じ薬師如来を始め諸尊に供養し、また村人にもこれを服用させた所、忽ち悪い病は消滅して村人は安堵した。
 その時此の釜を鋳たのでこの地を「釜の脇」と名づけたという。又此の茶釜は今も寺宝
として宝徳院に保管されている。
下田市の民話と伝説 第1集より