むかし、鎌倉の建長寺の貫主さん(一番えらい和尚さん)が伊豆の巡錫(布教のためにあちらこちらまわる)の途中、吉佐美にも一夜宿をとられるという話が岡方村の名主さんから知らせがあった。その頃、建長寺の貫主さんといえば日本一偉いお坊さんということで、こんな辺鄙な、島流しの地とされていた
ような所に来るとは勿体ない事だ、ありがたい事だと村中大喜びでお迎えすることになった。鎌で道端の草を刈る人、鍬で道を直す人、ごみを掃く人、焼く人と村の道はたちまちきれいになった。
いよいよ明日はおいでになるというとき、「建長寺の貫主さんは大の犬ぎらいなので、犬は大小にかかわらず全部つないで表に出ないようにしておくこと。」と布令がまわった。村中で、犬を飼っている人は、犬を丈夫な綱で木や柱につなぎ飼主のいない野良犬も綱で海岸の松の木にしばりつけておいた。
下田の峠の方から美しいお駕籠がやってくる。
下によー 下によー
先ぶれの人の後から行列を作って建長寺の貫主さんがやって来た。宿は村で一番大きな家をというので、北条の隠居にした。
隠居では偉いお坊さんがお泊りになるというので、大さわぎだった。お給仕は吉佐美小町と呼ばれて、村一番のきりょうよしだという西畑のお姉さんが出ることになり、取持役としては、この隠居の棟梁をやった湯ケ原の大工さんが選ばれた。
お伴の者は別室で、おっさんは一番奥の座敷で夕食をとることになったが、夕食の膳が運ばれてくると、おっさんは「私は雲水の時から自分で食事はとっていたので、給仕も取持もいらない。他人に見られながら食べてはおいしくないので、見えないように屏風でかこんでもらいたい。」というので、早速おっさんのまわりを六枚屏風でかこんだ。
給仕と取持は仕方なく屏風の外で待っていると、ピチャピチャ、クシャクシャと音がして、おっさんは食事をしている様子。
偉い坊さんだけによくかんでいると二人は思った。でも変だなぁ!箸を使うようすも、茶碗を持ったりおいたりする音もしない。悪いな!とは思ったが給仕の柿さんは屏風の隙間からそうっとのぞいて見ると、おかずも汁もごはんと一しょくたにして顔をおはちの中につっこんで食べている。「手は不浄のものに
ふれるので食事の前には必ず洗ってと云われたが、手洗いを出さなかったのでああして食べているのかな、気がつかなくて悪かった。」と、取持の大工に耳打ちをした。大工さんも取持として気がつかなくて悪かったが、偉い坊さんになると、食事のとり方も色々と工夫するものだと感心した。しばらくたったので「お茶を差し上げましょうか。」と尋ねると「お茶はよろしい。とてもおいしかった。」と申されるので屏風を直してお膳やおはちを片づけた。
「お風呂が出来ましたのでお召し下さい。」とお風呂をすゝめると、「風呂はどこじゃ!。」主人は「別棟でございます。」と答えると、「座敷から風呂場まで屏風を立てまわしてほしい。入浴中の裸の姿を人に見られるのは困るので、絶対にのぞいてはいけない。よろしいか。」と厳しい顔つきで言い渡した。主人も取持も「裸をのぞかれちゃ−誰だって嫌だ。無理もない。」とありったけの屏風や戸で風呂場までを囲いました。やがておっさんは風呂に入る支度をして「よいか、先にも申したが絶対にのぞいてはいけないぞ!!」と、又云う。風呂からはバシャバシャという音や時々ドブーンと云う音がします。主人は湯加減はどうかと思って遠くから声をかけた。「とてもよい加減じゃ。」と
御機嫌のよい声だったので、「お背中を流しましょうか。」と云うと「ぬるい上り湯を背にかけてくれ。体にふれてはいけないぞ。頭にかけてもだめだ、肩からスーッと流すようにかけるのだ。」というと、ローソクを吹き消してしまいました。主人は暗い中をすかし見ながら肩のあたりからかけてやったが、風呂場の中が変に臭かったそうである。
座敷におっさんが戻られたので、主人は、筆と墨と紙を用意して、「お疲れの所誠に申し兼ねますが、御宿をいただいた記念を家宝といたしたいので御一筆お願いいたします。」と、たのみました。「うん、よいよい。大へん世話になったし、第一、犬の鳴き声をきかないのが何より。一筆書いて進ぜよう。」
主人は大喜びだった。おっさんは主人のすった墨を筆に含ませると、何やらわからない字をすらすら書くと、「あーそうや」と言ってもう二枚書いた。
「一枚は御主人に、一枚は取持さんに、一枚は御厄介をかけたお給仕さんに進ぜよう。」
あまり見事に筆を走らせたので、何と読んだらいいのかわからない。「誠に失礼ながら、これは何と読むのでございますか。」
「うん、これは親切にしてくれた御礼のことばで、しあわせが近いうちにくるというおまじないの言葉じゃ。」「ありがとうございます。」
三人はありがたくその水茎の跡をいたゞいた。
翌朝、おっさんの一行は主人や村の人々の見送りをうけて山越えに松崎の方へ旅立って行かれた。二・三日後、お駕籠は、宇久須村を通過していた。すると突然、つながれていた一匹の白い大きい犬が、その綱をかみ切ってお駕籠に飛びついていった。
おお駕籠をかついでいた人やまわりの人は犬を追い払おうとしたが、犬は気が狂ったように、駕籠を目がけて吠えかかり、遂に駕籠の中に首を突っ込んでしまった。すると中から、ギヤーッと云う気味の悪い声が聞えてきた。犬はおっさんののどの所に食いついて、駕籠から引きずり出してきた。
しかし、これはどうしたことか。おっさんだと思っていたのは、実は千年も二千年もたったかと思われる白狐だった。
狐が建長寺のおっさんに化けて、あちらこちらをまわり歩いていたのだった。
主人も大工さんも給仕の娘さんも「どうりでどこか変だと思った。」といって顔を見合せた。
狐の化けた管長さんの書いた書きものは、家の宝として今も大工さんの家に立派に表装され、掛軸として保管されている。
(これと同じような話は、八幡野村にもあり、又、田方の方にもあるということです。)
下田市の民話と伝説 第2集より
ような所に来るとは勿体ない事だ、ありがたい事だと村中大喜びでお迎えすることになった。鎌で道端の草を刈る人、鍬で道を直す人、ごみを掃く人、焼く人と村の道はたちまちきれいになった。
いよいよ明日はおいでになるというとき、「建長寺の貫主さんは大の犬ぎらいなので、犬は大小にかかわらず全部つないで表に出ないようにしておくこと。」と布令がまわった。村中で、犬を飼っている人は、犬を丈夫な綱で木や柱につなぎ飼主のいない野良犬も綱で海岸の松の木にしばりつけておいた。
下田の峠の方から美しいお駕籠がやってくる。
下によー 下によー
先ぶれの人の後から行列を作って建長寺の貫主さんがやって来た。宿は村で一番大きな家をというので、北条の隠居にした。
隠居では偉いお坊さんがお泊りになるというので、大さわぎだった。お給仕は吉佐美小町と呼ばれて、村一番のきりょうよしだという西畑のお姉さんが出ることになり、取持役としては、この隠居の棟梁をやった湯ケ原の大工さんが選ばれた。
お伴の者は別室で、おっさんは一番奥の座敷で夕食をとることになったが、夕食の膳が運ばれてくると、おっさんは「私は雲水の時から自分で食事はとっていたので、給仕も取持もいらない。他人に見られながら食べてはおいしくないので、見えないように屏風でかこんでもらいたい。」というので、早速おっさんのまわりを六枚屏風でかこんだ。
給仕と取持は仕方なく屏風の外で待っていると、ピチャピチャ、クシャクシャと音がして、おっさんは食事をしている様子。
偉い坊さんだけによくかんでいると二人は思った。でも変だなぁ!箸を使うようすも、茶碗を持ったりおいたりする音もしない。悪いな!とは思ったが給仕の柿さんは屏風の隙間からそうっとのぞいて見ると、おかずも汁もごはんと一しょくたにして顔をおはちの中につっこんで食べている。「手は不浄のものに
ふれるので食事の前には必ず洗ってと云われたが、手洗いを出さなかったのでああして食べているのかな、気がつかなくて悪かった。」と、取持の大工に耳打ちをした。大工さんも取持として気がつかなくて悪かったが、偉い坊さんになると、食事のとり方も色々と工夫するものだと感心した。しばらくたったので「お茶を差し上げましょうか。」と尋ねると「お茶はよろしい。とてもおいしかった。」と申されるので屏風を直してお膳やおはちを片づけた。
「お風呂が出来ましたのでお召し下さい。」とお風呂をすゝめると、「風呂はどこじゃ!。」主人は「別棟でございます。」と答えると、「座敷から風呂場まで屏風を立てまわしてほしい。入浴中の裸の姿を人に見られるのは困るので、絶対にのぞいてはいけない。よろしいか。」と厳しい顔つきで言い渡した。主人も取持も「裸をのぞかれちゃ−誰だって嫌だ。無理もない。」とありったけの屏風や戸で風呂場までを囲いました。やがておっさんは風呂に入る支度をして「よいか、先にも申したが絶対にのぞいてはいけないぞ!!」と、又云う。風呂からはバシャバシャという音や時々ドブーンと云う音がします。主人は湯加減はどうかと思って遠くから声をかけた。「とてもよい加減じゃ。」と
御機嫌のよい声だったので、「お背中を流しましょうか。」と云うと「ぬるい上り湯を背にかけてくれ。体にふれてはいけないぞ。頭にかけてもだめだ、肩からスーッと流すようにかけるのだ。」というと、ローソクを吹き消してしまいました。主人は暗い中をすかし見ながら肩のあたりからかけてやったが、風呂場の中が変に臭かったそうである。
座敷におっさんが戻られたので、主人は、筆と墨と紙を用意して、「お疲れの所誠に申し兼ねますが、御宿をいただいた記念を家宝といたしたいので御一筆お願いいたします。」と、たのみました。「うん、よいよい。大へん世話になったし、第一、犬の鳴き声をきかないのが何より。一筆書いて進ぜよう。」
主人は大喜びだった。おっさんは主人のすった墨を筆に含ませると、何やらわからない字をすらすら書くと、「あーそうや」と言ってもう二枚書いた。
「一枚は御主人に、一枚は取持さんに、一枚は御厄介をかけたお給仕さんに進ぜよう。」
あまり見事に筆を走らせたので、何と読んだらいいのかわからない。「誠に失礼ながら、これは何と読むのでございますか。」
「うん、これは親切にしてくれた御礼のことばで、しあわせが近いうちにくるというおまじないの言葉じゃ。」「ありがとうございます。」
三人はありがたくその水茎の跡をいたゞいた。
翌朝、おっさんの一行は主人や村の人々の見送りをうけて山越えに松崎の方へ旅立って行かれた。二・三日後、お駕籠は、宇久須村を通過していた。すると突然、つながれていた一匹の白い大きい犬が、その綱をかみ切ってお駕籠に飛びついていった。
おお駕籠をかついでいた人やまわりの人は犬を追い払おうとしたが、犬は気が狂ったように、駕籠を目がけて吠えかかり、遂に駕籠の中に首を突っ込んでしまった。すると中から、ギヤーッと云う気味の悪い声が聞えてきた。犬はおっさんののどの所に食いついて、駕籠から引きずり出してきた。
しかし、これはどうしたことか。おっさんだと思っていたのは、実は千年も二千年もたったかと思われる白狐だった。
狐が建長寺のおっさんに化けて、あちらこちらをまわり歩いていたのだった。
主人も大工さんも給仕の娘さんも「どうりでどこか変だと思った。」といって顔を見合せた。
狐の化けた管長さんの書いた書きものは、家の宝として今も大工さんの家に立派に表装され、掛軸として保管されている。
(これと同じような話は、八幡野村にもあり、又、田方の方にもあるということです。)
下田市の民話と伝説 第2集より