吉佐美宝徳院の入口の道端に、風雪にさらされ目鼻立ちも定かでない地蔵様が立っている。時々赤い頭巾のよだれかけが新しく取りかえられたり、新しい花が供えられたりして、近隣の人々の信仰をあつめ、子供達にも親しまれている。熱を出したり、夜泣きをしたりすると、このお地蔵様を拝み、お願いすれば治ると云われる。
 出口の老母の語る所によると、このお地蔵様は、宝徳院に昔偉いおっさんがおられて、この地蔵様の御利益を説かれたので、当家の三代前の主人が発起人となり、子供の守護・五穀豊穣・村内安全・海難守護等を願って建立したものだと云う。
戦時中は弾丸除けや、無事帰還を願って利益をいただいた人も多くあるとか。
以前は、宝徳院から出て来て真正面の道路上にあったが、道路拡張工事の時、少し横へ移動された。その折、工事監督のY氏が「こんな石ころ邪魔になるので捨てようか」と、出口に相談に来たが、「粗末にして若しもの事があっては、お前さんの気持ちも休まらないだろうから」と注意され、そのまま現在の場所に安置されたと云う。数日後、監督は急に熱を出し臥床の身となった。しかし、夢に地蔵が現われたので、深くおわび申し上げたところ、たちまち快癒したという。一個の石と思えば何でもない右であるが、尊信の対象となると石ではなくなる。願い事を叶えてくれ、守護して下さる仏様地蔵様として、現在も尊信を集めている。
 また、数年前のことである。近所の信心深いお婆さんが、或る日浜条のおみ堂にお参りをして家に帰った。一と眠りして目がさめた時、お婆さんは朝と勘違いして、またお宮やお寺にお参りに出かけた。そして、この地蔵さんの前へ来て拝んでいるうち、急に気分が悪くなって、他に何のすべもないので、お地蔵さんにかぶりついて一心に祈っていた。それを見た通りがかりの人が、お婆さんの顔色の異様なのを見てびっくりし、救急車を呼ぶ騒ぎがあったが、お祈りのかいがあってか、やがて老婆は地蔵さんから手を離して起ち上ったので、救急車の必要は
なかったという。
 村人やこゝを通る人々を守りつゞけて今日も地蔵さんは立っていらっしゃる。
下田市の民話と伝説 第2集より