下田から南方面に行くには、相の山道を越えて大賀茂の掘切りから険しい山道を通り一条に出てゆく速まわり道と、吉佐美洗田に出て銭瓶峠を越えるものと二つあったが、銭瓶越えが近くて便利なため、みんなこの道を通っていった。
明治の始め頃の事である。暑い夏も終って秋風が三倉山の枯草を靡かせる頃になって、銭瓶時に「おいはぎ」が出る、「天狗の化物」が出ると云う噂が流れた。昨夜は青市の衆がやられた。4、5日前の夜は、下賀茂の衆が衣服ぐるみとられて褌一つで逃げ帰った。湊の人もおどかされて金をとられた。「天狗」
だとか背の高い頭の大きな「化物」みたいなものだとか、噂は噂を生んで次々と広がった。
当時村の世話役をしていた向い条の笹本新右衛門氏は、明治の御維新も成り、天下泰平を迎えた此の世に、そんな天狗や化け物があってはならない。幸い自分は若い頃江戸で柔術の稽古をし師範の資格もとり、整復・整骨術に、活法術も心得ている身。「よし一つ自分がその妖怪が何であるかを見届けてやろう。」
と決心した。とにかく昼の明るいうちに一応の下検分をしておこうと、銭瓶峠の山越えの道を登ってゆくと、もう少しで峠というあたりに人々が休むのか草が踏みにじられている所に出た。
このあたりかと見廻すと一方は三倉山の断崖、一方は「くずばふじ」の生い茂った谷。化け物と出逢えば逃げられない場所である。ここには畳一枚分程の茅草の茂りがあった。石や竹木等の危険物もない。一本背負いにしても巴投げにしても殺してしまう心配はないと、大体の場所を定めて帰って来た。
陽が西の山に入って、あたりには次第に夕闇が迫り、銭瓶峠につく頃は暗闇となる時刻である。旅人風に身ごしらえすると、新右衛門は物音一つしない山道を鼻歌まじりに登って行った。
予定の場所について一休みしていたが、あたりは暗くなる一方で物音一つしない。村の灯がそこここに見えるだけ。今夜はお化けもお休みか、帰ろうか相手なしでは角力もとれないと、独り言を言い乍ら二・三歩帰りかけると、何やら物音が聞えてきた。
「出なさったか。」と戻って峠に向かおうとすると、暗闇の中にガサッガサッと音がして何か近づいて来る気配がする。闇をすかして見ると、六尺余り(2米)の見上げるような大男が立っていた。大刀一本を腰にしているが、抜く様子もない。よく目をすえてすかして見ると、頭の上に背を高く見せるように
何かを冠っているらしい。新右衛門が、さもこわそうに体をふるわせていると「あいや、そこの男、持ち物一切そこに置いてさっさと行け!。」どすの利いた声と共にガチャンと鯉口をおさめる音がした。「お金だけで勘弁して下さい。持ち金全部さし上げます、命だけは!!。」とふるえながら懐から巾着を取り出し首にかけていたひもを外して差出すと、例の男の右手がすっと伸びて来た。新右衛門はすばやくその手をむんずとつかむと、得意の一本背負いで投げとばした。見事にきまって大男は芝草の上に投げ出される。起き上っても来ない。用心しながら近づ いて見ると気絶していた。活を入れて頭巾を外し、闇を照すかすかな月影に顔をたしかめて見ると、意外にもそれは村の男の顔であった。博打に負けた穴埋めに、その男は追剥を思い立ったとの事。新右衛門は懇々とその不心得を諭して、この事は一切口外しない事を約束して、その男を許してやった。
追剥の話が出ると新右衛門は、只笑っているだけで名は遂に口外しなかった。
下田市の民話と伝説 第2集より
明治の始め頃の事である。暑い夏も終って秋風が三倉山の枯草を靡かせる頃になって、銭瓶時に「おいはぎ」が出る、「天狗の化物」が出ると云う噂が流れた。昨夜は青市の衆がやられた。4、5日前の夜は、下賀茂の衆が衣服ぐるみとられて褌一つで逃げ帰った。湊の人もおどかされて金をとられた。「天狗」
だとか背の高い頭の大きな「化物」みたいなものだとか、噂は噂を生んで次々と広がった。
当時村の世話役をしていた向い条の笹本新右衛門氏は、明治の御維新も成り、天下泰平を迎えた此の世に、そんな天狗や化け物があってはならない。幸い自分は若い頃江戸で柔術の稽古をし師範の資格もとり、整復・整骨術に、活法術も心得ている身。「よし一つ自分がその妖怪が何であるかを見届けてやろう。」
と決心した。とにかく昼の明るいうちに一応の下検分をしておこうと、銭瓶峠の山越えの道を登ってゆくと、もう少しで峠というあたりに人々が休むのか草が踏みにじられている所に出た。
このあたりかと見廻すと一方は三倉山の断崖、一方は「くずばふじ」の生い茂った谷。化け物と出逢えば逃げられない場所である。ここには畳一枚分程の茅草の茂りがあった。石や竹木等の危険物もない。一本背負いにしても巴投げにしても殺してしまう心配はないと、大体の場所を定めて帰って来た。
陽が西の山に入って、あたりには次第に夕闇が迫り、銭瓶峠につく頃は暗闇となる時刻である。旅人風に身ごしらえすると、新右衛門は物音一つしない山道を鼻歌まじりに登って行った。
予定の場所について一休みしていたが、あたりは暗くなる一方で物音一つしない。村の灯がそこここに見えるだけ。今夜はお化けもお休みか、帰ろうか相手なしでは角力もとれないと、独り言を言い乍ら二・三歩帰りかけると、何やら物音が聞えてきた。
「出なさったか。」と戻って峠に向かおうとすると、暗闇の中にガサッガサッと音がして何か近づいて来る気配がする。闇をすかして見ると、六尺余り(2米)の見上げるような大男が立っていた。大刀一本を腰にしているが、抜く様子もない。よく目をすえてすかして見ると、頭の上に背を高く見せるように
何かを冠っているらしい。新右衛門が、さもこわそうに体をふるわせていると「あいや、そこの男、持ち物一切そこに置いてさっさと行け!。」どすの利いた声と共にガチャンと鯉口をおさめる音がした。「お金だけで勘弁して下さい。持ち金全部さし上げます、命だけは!!。」とふるえながら懐から巾着を取り出し首にかけていたひもを外して差出すと、例の男の右手がすっと伸びて来た。新右衛門はすばやくその手をむんずとつかむと、得意の一本背負いで投げとばした。見事にきまって大男は芝草の上に投げ出される。起き上っても来ない。用心しながら近づ いて見ると気絶していた。活を入れて頭巾を外し、闇を照すかすかな月影に顔をたしかめて見ると、意外にもそれは村の男の顔であった。博打に負けた穴埋めに、その男は追剥を思い立ったとの事。新右衛門は懇々とその不心得を諭して、この事は一切口外しない事を約束して、その男を許してやった。
追剥の話が出ると新右衛門は、只笑っているだけで名は遂に口外しなかった。
下田市の民話と伝説 第2集より