大賀茂の林山、少林山曹洞院の山門は江戸初期の名匠、日光陽明門にある「眠り猫」の作者、左甚五郎の作と伝えられている。
此の山門は別名「響門」と呼ばれ、寺内にある「金剛水」は弘洪大師ゆかりの井水と共に有名である。
 曹洞院は元禄年間に火災のため大部分の建物が焼失したが、響門(山門)は本堂から大部離れた森の中にあったので、幸い火災を免れた。
 響門はクギ一本も使わない完全なクサビ門で、中ほどの敷居の上で拍手を打つと前方の山に響きが伝わって、鴬の声に聞えたり小鳥の声に聞えたりして響が伝わってゆくので、響門と呼ばれるようになったと云う。
 四脚門の切妻造りで、現在は桟瓦葺であるが、昔は茅葺であったと云う。
 斗供は出三斗、中央及び前後の梁の上に蟇股があり、蟇股の中に浮彫が施されている。両側の外部には椿及びぼたん。その裏側にはそれぞれ花菱と桐、中央の蟇股にはおもだかの紋様が刻まれている。おもだかは此の門を寄進した武士の家紋であろうと云われる。蟇股の浮彫をはじめ、虹梁・懸魚・こぶし鼻等
の紋様は、素朴であるが気品を持っている。棟札の銘によると「延宝九年(1681)此門新造」と記されている。
 左甚五郎は「一生に同じものを二度と作らなかった」と伝えられるが、「ここの門と曹洞院の門とは同じものだ。嫁があったら尋ねてゆけ。」と誰かに云い残したという事だが、「こゝの門」がどこにあるのかはっきりしない。
 先年、曹洞院住職伊藤仁重老師(昭53.8亡)を尋ねて、「響門」の話を伺った時、先代の臼井祖猛師が片瀬の竜渕院の山門が「こゝの門」を指しているのではないか、というのを聞いたことがあると話された。
 響門は名工の作として、今日でも柏手を打てば妙なる響を伝えてくる。
下田市の民話と伝説 第2集より