下田の城山公園は、いまは皆の憩いの場所、紫陽花群蕗の場所となっいますが、天正のころはこゝに鵜島城があって、海の要害になっておりました。
 お城を守る武士たちは、城主の清水上野守をはじめ屈強の勇士たちばかりです。これにもまして上野守の奥方が夫にまさる女丈夫で、家来の中には城主よりむしろ奥方のほうに頭のあがらぬ者が多かったと言われます。
 ある時、奥方は夫の武運長久を祈るため氏神様に出かけました。急な坂道を登っていくと、とつぜん崖ぶちから牛の悲しげな啼き声が聞こえました。いぶかりながら崖をのぞいてみると、米俵を2俵もつけた大きな牛が崖の岩に荷縄をかけて宙吊りになっています。足を坂からすべらせてずり落ちたのでしょう。
 荷縄が切れれば、深い谷底に落ちて死ぬにちがいありません。
奥方は必死のおもいで、牛のもがいている岩におりていきました。やがて牛のかたわらに近づくと、足場をかためて全身の力をふりしばり、牛を「ヨイショ」とかかえ上げ、崖の上に放り上げました。この板子を見ていた城下の人達は、人間わざではないと驚き、奥方の怪力と鵜島城の評判は、関八州にひびきわたった、ということです。
下田市の民話と伝説 第2集より