(前田福太郎著「歩み来て」より)
 私の生家へ白浜)に「亀の浮き木」と呼ばれる霊木がある。
長さが1メートルぐらい、太さもほゞそれと同じ程で、一端が幾分尖っていて、表面は海の虫に食われて、細かい穴が一面にあけられている。しかもそれがいつも床の間の片隅に、さも大切なものの様に置かれてあった。
 伊豆半島沿岸の住民は、大体において半農半漁によってその生活を支えていると言っても差支えあるまい。それゆえに、陸に在っては良い農夫であるとともに、海に行っても亦特技を持った達人とならねばならない。そこでそのためにもと、子供等はまだ小学校へ通っているうちにも、いか釣りなどに伴われて
行くことが往々にしてあった。
 ところがそのいか釣りというのが、意地悪く晩秋初冬木枯しの吹き荒ぶ、しかも夜の海のことであるから容易のことではない。
けれどもそれだけに、そうした少年の頃の思い出は、いとけない脳裏に深く印象づけられて々永く忘れることが出来ない。
 こゝに漂渺とした海原のまっただ中を、僅か2トンか3トンのまるで秋の木の葉の枯れ葉一枚にも及ばない心細い舟で漁をするのであった。稲取岬の右に見え出したのが日蓮岬だと言う。
大室小室の丸く伏した萱野が折からの夕日を浴びて黄に輝く。
近くは白い白浜の砂丘、今や夕日が、西に起伏する山脈にまさに落ちようとして、遠い渚からこの舟の横腹まで、金色にきらめく波がつづいてくる。大きな魚が波しぶきを上げて空に跳ねる。低い舟ばたは、手をかざせばすぐ下は何百尺の底だ。泣きたいようなさびしいおそろしい外海の夕ベである。
 思えば、わが家の遠い日の子供達も、この様にして育ち上ったことであろう。その末を承ける今の自分に、何か綿々として尽きせぬものを、身に深く感ずるのであった。昔そうしたある日の夕方、折からの激しい潮流に乗って、勢よく躍り立てている小さな丸太がある。ただ材木だけなら何の不思議もないが、よくよく透かして見れば見る程不思議なことには、世にも珍しい海亀が、さも大切そうにその丸太を背負っているではないか。
そこで時を移さず船を漕いで近づこうとすれば、亀はあせり出して、背負ったまゝ逃げきれず、とうとうそれを捨てて、自分は千尋なす潮の底深く沈んでしまった。そこでさっそくその丸太を拾い上げてしまった。
 ところがその晩、この舟は思いもかけないいかの大漁をした。
そしてその後も、この舟ばかりが大漁するので、あれは宝の木だ、霊木だとして大切に床の間に飾って、そのまゝわが家に幾代も幾代も飾りつがれて来たのであった。
 星移り水は流れて、人の浮き世の塵もかかれば、いつしかこの木の持つ霊妙不思議さも、風俗に落ちてしまって、たゞ遠き日の語り草をとどめるに過ぎなくなった。
 近年になって、この亀の浮き木の一部は、私の兄徳太郎の手によって大黒の像にきざまれて、更に長く後のわが生家に伝えるに至った。
 
下田市の民話と伝説 第2集より