(前田福太郎著「歩み来て」より)
人間を保護し、幸福を授ける善い神々が存在すると同時に、絶えず人間をうかがいながら機会あらば、隙に乗じて危害を加えようとする魔物が存在すると考えられている。
魔物にはいろいろある。先ずカッパである。カッパはどこの土地へ行っても大方同じ定説となっていて、われわれも子供心にそれを恐れきらったものである。
又、目一つというものがある。ひとつ目と呼ぶよりも、目一つと云った方が何となく恐ろしい気がする。12月8日の晩に、目一つがここを通るというので、目のたくさんある目籠を外に出しておいて、魔除けをする習俗のあったことを覚えている。
又、神隠しということがあった。殊に夕方かくれんぼをすると、そのまゝ神様が連れて行ってしまって、その子は決して再び出て釆ないと云う。
又、かまいたちと呼ばれるものは、なんでもすごく鋭い鎌の様なものを持っていて、人間の肉を切り取ると考えられていた。
普通の傷は大抵多量の血が出るが、かまいたちに切られた傷は、決して血が出ないと言われている。
重吉という子があった。私より一年下の尋常5年生であったが、当時の白浜小学校では児童数が少なかったので、5年6年を1組として教えられたものである。
ある体操の時間に突然先生が云い出した。「今日は天気があまりにも良いから、古根の浜へ行って体操する。」
皆は声を立てて喜び、それっとばかり一目散に先を争って駈け出す。後方から先生が制し呼んでも耳に入ればこそ、早いものは300メートルも先を走っていた。
明治36年、ちょうどかの日露戦争が始まる前年のこと、軍国の少年の意気は火と燃えさかっていた。勿論今の様な立派な道路は無く、今の長田の切り通しになっている所は、長いけわしい坂道になっていて、いくつもの石の階段もくずれ勝ちになっていた。そこへ差しかゝると、私といっしょに走っていた重吉が、石につまずいて2、3メートルもそのままのめってしまった。
ようやく起き上った重吉は、立ち上がることが出来ずに、両手で右の膝をかかえこんで、ただ泣きわめくばかり、私はすっかり面くらってどうすることも出来ずにいると、大勢集って来て、誰彼となくさゝやいた。
「かまいたちだ。かまいたちだ。」と云う。
こわごわながら私ものぞいてみると、膝頭が大きく口を開いて、その傷から血は流れず、中深い筋肉や筋がただ無気味に白くあらわれているばかりであった。
私は、黒っぼい着物を着た体のあまり大きくない、人間の様なかっこうをしたかまいたちが、小さな鎌を持って、鋭い目でにらんでいるおそろしい姿を心の中に画いて見た。
当時外科医もないので、重吉はそのまゝ家庭に運ばれて行って素人療法をつづけたが、治りが遅かった。とかくするうちに村の古老が、柱ごよみを焼いてその灰を患部につけると治りが早いと云うので、早速これを実行したが、これは利くどころか却って化膿してしまった。
秋の未になってびっこを引きながら登校した重吉の膝には、黒い灰がそのまゝ肉深く食い入って、あたかも入れ墨の様に青黒くあざやかに印されてあった。
下田市の民話と伝説 第2集より
人間を保護し、幸福を授ける善い神々が存在すると同時に、絶えず人間をうかがいながら機会あらば、隙に乗じて危害を加えようとする魔物が存在すると考えられている。
魔物にはいろいろある。先ずカッパである。カッパはどこの土地へ行っても大方同じ定説となっていて、われわれも子供心にそれを恐れきらったものである。
又、目一つというものがある。ひとつ目と呼ぶよりも、目一つと云った方が何となく恐ろしい気がする。12月8日の晩に、目一つがここを通るというので、目のたくさんある目籠を外に出しておいて、魔除けをする習俗のあったことを覚えている。
又、神隠しということがあった。殊に夕方かくれんぼをすると、そのまゝ神様が連れて行ってしまって、その子は決して再び出て釆ないと云う。
又、かまいたちと呼ばれるものは、なんでもすごく鋭い鎌の様なものを持っていて、人間の肉を切り取ると考えられていた。
普通の傷は大抵多量の血が出るが、かまいたちに切られた傷は、決して血が出ないと言われている。
重吉という子があった。私より一年下の尋常5年生であったが、当時の白浜小学校では児童数が少なかったので、5年6年を1組として教えられたものである。
ある体操の時間に突然先生が云い出した。「今日は天気があまりにも良いから、古根の浜へ行って体操する。」
皆は声を立てて喜び、それっとばかり一目散に先を争って駈け出す。後方から先生が制し呼んでも耳に入ればこそ、早いものは300メートルも先を走っていた。
明治36年、ちょうどかの日露戦争が始まる前年のこと、軍国の少年の意気は火と燃えさかっていた。勿論今の様な立派な道路は無く、今の長田の切り通しになっている所は、長いけわしい坂道になっていて、いくつもの石の階段もくずれ勝ちになっていた。そこへ差しかゝると、私といっしょに走っていた重吉が、石につまずいて2、3メートルもそのままのめってしまった。
ようやく起き上った重吉は、立ち上がることが出来ずに、両手で右の膝をかかえこんで、ただ泣きわめくばかり、私はすっかり面くらってどうすることも出来ずにいると、大勢集って来て、誰彼となくさゝやいた。
「かまいたちだ。かまいたちだ。」と云う。
こわごわながら私ものぞいてみると、膝頭が大きく口を開いて、その傷から血は流れず、中深い筋肉や筋がただ無気味に白くあらわれているばかりであった。
私は、黒っぼい着物を着た体のあまり大きくない、人間の様なかっこうをしたかまいたちが、小さな鎌を持って、鋭い目でにらんでいるおそろしい姿を心の中に画いて見た。
当時外科医もないので、重吉はそのまゝ家庭に運ばれて行って素人療法をつづけたが、治りが遅かった。とかくするうちに村の古老が、柱ごよみを焼いてその灰を患部につけると治りが早いと云うので、早速これを実行したが、これは利くどころか却って化膿してしまった。
秋の未になってびっこを引きながら登校した重吉の膝には、黒い灰がそのまゝ肉深く食い入って、あたかも入れ墨の様に青黒くあざやかに印されてあった。
下田市の民話と伝説 第2集より