(前田福太郎著「歩み来て」より)                                            
 伊豆の南、白浜から外浦・須崎にかけては、昔から妖怪変化にからまる話題が豊富にある。変化の主は狐とむじなであるが、今では狐はほとんどいなくなって、むじなばかりになっている。そのむじなが何故人を化かすというに、彼等だって伝説にあるような陽気な呑気な滑稽たっぶりのいたずらごとをして、楽しんでいるわけではない。彼等は第一に塩をほしがる。第二に魚を非常に好む。ところが、この海岸の人々の中には、さかな釣りを楽しむ連中が割合に多く、それで爪木崎の荒海の離れ岩にまで出かけてゆくが、魚の釣れるのは、大低朝早くか又は夕方である。夕方釣った魚を籠に入れて背負い、二里(八粁)もある海岸の山道を我が家へかえるとなると必ず夜になる。この夜こそ彼等のねらいどころである。何しろ食いたい食いたいという獣類の本能というものは、大した不思議の力を持っているもので、これにひっかかって、人間が迷わされ、その隙に乗じて、籠の中の魚を根こそぎさらわれるという実例は、それこそ数えきれない程ある。今一つは、婚礼に呼ばれた連中が充分に酔って、もう遅いからお泊んなさいというのも聞かず、魚や肉などの土産物を持って、鼻歌まじりで帰る途中にやられる事が多い。むじなは色々の手を使って化かす。ある時は、魚を釣って、どれ帰ろうかとしている夜の九時頃、美しい娘に化けて、洒をのみましょう、と云って、何か壜に入った液体を持って来て、その人にすゝめ、二人で一晩中洒と思うものを飲み、とうとうその晩は、そこの岩の上に寝たまゝ眼をさましたら、朝だった<br /> ということもある。KもIも白浜へは、外来者であった。Iは小さい時からここの農家に百姓奉公をしたが、長じて一戸を新に構え、Kは足袋屋であったが時代に置き去りにせられ、今は二人とも小作をしている。そこで二人は、いつまでこんな小作では、うだつがあがらぬと考えこんで、思案の末、須崎の原に約2町歩(約20アール)の原野を借りうけ、そこに9尺2問(約6畳位)の仮すまいをしつらえ、朝は早くから、夜は遅くまで精魂を傾けて働き、たちまちの問に5反歩(約5アール)も開懇してしまった。ある年の秋、二人は久方ぶりで妻子のいる白決へ帰り、10月30日、祭の最後の日に、鮭の切り身やら餅やら、いろいろの料理を米や味噌の上に載せ、ドッコイショという程沢山に背負って、夕方村を出て、野原の小屋へ帰って行った。晩秋の須崎の原の夜は物静かで、すでにほほけたすゝきの穂波の上をわたる風のなびきがしらじらとして、自分達二人の外、行き来の人のかげもない。Kが先きを歩き、Iが後ろからついて行く、とつい4、5間(約8メートル〜10メートル)前に、突然一羽のやまどりが飛び出した。二人はソレッとばかり、これを捕えようと駈け出したが、山鳥はひょいひょいと上手に逃げてゆく。二人はこれを追いまくるが、なかなかつかまりそうもない。石を投げつけてやっても平気である。これを一羽捕えれば、野原の中の貧しい食膳を三日位賑わすことは受け合だ。KもIも重い荷物を背負っているから、思うような行動は出来ないが、元より充分な体力があるので、汗ビッショリになって、笑ったり転げたりしながら、尚も山鳥を追いかけてゆく。そのうち、後から歩いているIは冷静にかえって考えた。これはヒョッとしたら、昔から聞くここの原のむじなの仕業ではないかしら。     
 第一に、山鳥が夜のこの道に出て来るはずがない。若し出て来たとしても、一度人に追われればすぐ草むらに逃げこんで、二度と出てくるわけがない。第二に、きつねやむじなに化かされた時には、その物の姿なり道なりが、やみの中でもはっきり見えると、昔から言われているが、今こんな暗いやみの中で、山どりだけがたった一つハッキリと見え、しかもその鳥からは、ごこうが射して光がゆらめき流れる。第三に、鳥と自分等の距離がいつも同じになっている。そんな風に考えながら、まだ夢中になっているKに対し「だめだからよせよ。」と云ったが、Kは怒るようにして、「馬鹿ッ!よせるかッ、お前も一緒になってナゼやらぬかッ」Iは、再び静かに考えた。先達のある人が、須崎の婚礼の帰りに、一と晩中この山中をさまよい歩き、ひどい目にあって、持ち物全部を取られたと云うことだ。何としても変だゾ、よしこれはこのまゝにしておいて家に着いたら一あわ吹かせてやろう。その中に、夜のやみの中に灯のない自分達の小屋が見えて来た。IはKに静かに言葉をかけた。「なるべく静かにソッと戸を開けろ。」Kは言われるまゝにソッと門口の戸を開けた。その途端、IはKを戸内に突きとばし入れて、力まかせに戸を閉めた。さてその瞬間、Kの背中に乗っていたむじなも、もろ共に転げこんだらしい。灯一つない野原のこの小屋のくらやみの中に何物かが、いきなり大暴れに暴れ出した。Iは大方そんな事もあろうという事を心に期していたが、Kは不意をくらって驚くまいことか、二人は、あり合せの木刀を拾ってその怪物に躍りかゝる。それはそれは大変なさわぎ、壜はこわれる、醤油は流れ出す、茶碗も丼もめちゃめちゃ、絶対絶命になった怪物は、最後の勇をふるいおこして、遂に一枚の窓硝子に体当りをくれ、一大音響とともにガラスをこわし、辛うじて脱出して逃げることは逃げたが、相当のいたでを負ったらしい。二人はようやく平静に返って、自分達の背負って来たご馳走をしらべたところ、これはまた何としたことか、いつの間にか、二重三重になっている風呂敷は、めちゃめちゃに食い破られて、中にあった魚も餅も、すっかり食い荒らされているのに、ぼうぜんとさせられた。こうをへた野原の主の老むじなが、二人の注意を幻の山鳥に向けさせ、ずうずうしくも人間様の神経をまひさせ、ゆうゆうと二人の背中に登って、御馳走を平げたのだ。昔から、一人でいる時にばかされることがあると聞いているが、二人とも同時に化かされるとは、このむじな殿、なかなかよい腕を持っていたものと思う。しかしながら千慮の一失、人里にはまだ遠いと思い、野原の灯のない一軒屋のことに気がつかなかった。翌朝早く、あわただしく戸をたゝく人がある。びっくりして起きて見ると、畑のよせに手負いになったむじながヒョロヒョロしているから加勢してくれとの事、三人は追い廻した末とうとう捕えてしまった。むじなは、昨夜の事はすっかり忘れた様に、何食わぬ顔でキョトンとして自分達を眺めた。
下田市の民話と伝説 第2集より