稲生沢立野の中の瀬部落は、古来正月三ケ日間絶対に餅を搗(つ)いて食わないという珍しい習慣のある部落で、全国でも他に例を見ないと云われる。
 立野の鎮守の神は、子(ね)の神様と云われる。此の神様は餅が大好きで、昔は毎年正月の三ケ日問だけ托鉢僧に身を変えられて、餅の托鉢に出かけられたそうだ。
 立野の子の神様が、或年例年通り托鉢僧になって餅の喜捨に出かけられた。ところが此の部落の或る者が毎年の事なので此 の喜捨を面倒がって喜ばず、乞食妨主と侮り、悪戯をなし、餅に不浄物を入れて坊さんに与えた。
 いくら神様でもひとたび人間の姿に身を替えられては、このいたずらに気がつかず、そのまゝ持ち帰ってその餅を召上ったが、たちまち病気になり大層な苦しみをした。
 子の神様はおこって、その悪戯者を懲らしめるため、此の悪戯者の家を焼き拂われてしまった。
 そして、その悪戯者の夢枕に現われて、「我こそは此の地の氏神である。毎年托鉢僧に化身して餅の喜捨を受けに出かけていたが、今年は村内に大馬鹿者がいていたずらをしでかし、不届き至極である。此の後は正月三ケ日の餅托鉢には決して出ない故、此の村でも正月三ケ日は絶対に餅を搗いて食ってはなら
ない。若しその三ケ日問に餅を食う者があれば、火に崇って家を焼き拂う。くれぐれも疑うことなかれ。」と告げられると、消え失せてしまわれたそうだ。
それ以来毎年正月の一日二日三日の三ケ日間は決して餅を食わない習慣となったと伝えられる。
 近頃は、よそから中の瀬部落に移り住む人も多くなったが、何れも正月三ケ日は遠慮して餅を食わないことにしている。
下田市の民話と伝説 第2集より