昔、横川と加増野の間は、川添いの細い道で結ばれていた。
山と山との間をまがりくねった山道がつづいていたのだが、時々夜になると向う山の中腹あたりに提灯のあかりが並んで、ふわりふわりと動いているかと思うとパッと消えて、こんどはこちらの山の頂上から次の山の峰へと、あかりが並んで行列のように動いてゆく。こんなあかりを見るのは、きまって月のない真暗やみの夜であった。
 「あれは狐の嫁入りの行列のあかりだ。横川と加増野の問には人を化かす狐が住んでいるから、化かされないように用心しろ。」
と、村人は戒めあっていたのだった。
 このあかりがついた夜は、きっとどこかで誰かが狐に化かされて行方不明になった。
 ある冬の寒い朝、加増野の村人が朝早くから家を出かけ、炭焼きの窯の焚込みの準備にとりかかっていた。炭木は窯の中につめこんだし口元に粗朶を集めて火も焚きつけた。
 寒い朝だ。手を焙っていると、いきなり後ろから声をかけられた。
 「おじさん、青野(南伊豆町) へ行くにはどう行ったらいいかな。」
 「まあ寒い、火に当りなせえ。所でこんなに早くお前さんはどうしてここへ来なすった。」
 若者の語る所によると、この男は青野の職人で、親分の使いで蛇石を起えて松崎まで行き、松崎で親方の言付け通り用事をすませてきたところだった。
先方では親方への土産にと魚一匹と乾しうどんをもたせてよこした。職人は帰り道、八木山(岩科)のあたりで夕方になった。
そのことは覚えていたが、それからあとどこをどう歩いたのか、一晩中山の中をさ迷い歩いて、
火が見えたのでこゝまで来たとのこと。見れば手足はバラかじりになり、魚は半分程むしり取られており、うどんを包んだ風呂敷も破れていた。
「さては、あのいたずら狐の仕業だな。」
炭焼きさんは、狐は火に弱いと聞いていたので、枯枝をどっさり持って来て火口に積んだ。火は勢いよく燃えはじめた。
 もっと近く寄ってあたれと火のそばに若者を押しやると、そばにあった太目の棒で若者の背中のあたりをピシッと打った。
と、たちまち若者はそこに坐りこんでふるえ出した。職人の目が坐っている。「こん畜生−」と二つ三つまたひっばたくと、林の中をごそごそ走り去る音がした。すると、若者はフーと大息をして、「こゝはどこだ。こゝはどこだ。」と騒ぎ出した。
ついていた狐が逃げ出したのである。
 化かされた時は、火を見せるか、持っていた魚をうっちゃれば正気にかえるということである。
 若者は炭焼きさんに礼を言うと、箕作から下田をまわって青野へと帰っていった。
下田市の民話と伝説 第2集より