下田の歴史年表
年代 西暦 事項
応永6 1399 下田八幡神社に、鰐口奉納される。(下田村の初見)
天正16 1588 後北条氏、豊臣方水軍の東征に備えて下田城を築く。
天正18 1590 3月上旬豊臣方水軍、下田城へ押し寄せる。
    4月下旬下田開城、城将清水康英は河津林際寺へ身を寄せる。
    7月 小田原開城、後北条氏滅亡、秀吉の天下になる。
    8月 家康旗下、戸田忠次、下田五千石の領主となる。
元和元 1615 家康、大坂夏の陣に備え今村伝四郎に下田警備を命ずる。
元和2 1616 初代下田奉行今村彦兵衛、須崎に遠見番所を置く。
元和9 1623 大浦に遠見番所が移る。
寛永12 1635 今村伝四郎正長、了仙寺創建。
寛永13 1636 大浦の御番所を改築し船改番所とし、上下の廻船を検問する。
正保2 1645 今村伝四郎正長、武ヶ浜浪除を普請。
寛文4 1664 石野八兵衛、大浦切通しを開削、残土で坂下町ができる。
寛文8 1668 今村伝三郎正成、開削の残金で水道木管を敷設。
天和3 1683 服部久右衛門、井戸水利用に換え、水道木管を掘り出して辻木戸を作る。
貞享5 1688 日向の御用船、積荷を捨てた責任をとり、船頭等16人が切腹、大安寺を墓所に。
享保6 1721 2月 御番所が浦賀に移り、下田奉行が廃止。
寛政5 1793 3月 松平定信、伊豆海防見分、谷文晁『公余探勝図』。
天保13 1842 12月 下田奉行復活、初代小笠原加賀守。
天保14 1843 4月 幕府は州佐里崎・狼煙崎、沼津藩は三穂ヶ崎に御台場築造。
    9月 下田町書役、平井平次郎『下田年中行事』87巻完成。
弘化元 1844 2月 下田奉行は、二代土岐丹波守をもって廃止。
嘉永6 1853 6月3日 ペリー、浦賀に来航。
    7月18日 プチャーチン、長崎に来航。
嘉永7 1854 1月12日 ペリー、軍艦9隻で浦賀へ再来航。
    3月3日 日米和親条約12ヶ条、神奈川で締結、下田開港。
    3月18日からペリー艦隊7隻、順次下田来航。
    3月22日 下田奉行再々置、初代奉行に都築駿河守、井上信濃守。
(宝福寺、稲田寺が仮奉行所となる。
    3月24日 ペリー、上陸して了仙寺で饗応を受ける。
    3月27日 吉田松陰「踏海の企て」、柿崎弁天島より漕ぎ出すも失敗。
    5月22日 日米和親条約付録下田条約13ヶ条を了仙寺で調印、欠乏品の供給。
    6月1日 ペリー、目的を達して下田を去る。
    10月15日 プチャーチン、ディアナ号で下田に入港。
    11月3日 第1回日露交渉、福泉寺で行う。
    11月4日 大地震・大津波で下田は壊滅状態、ディアナ号大破。
安政元 1854 11月27日 「嘉永」から「安政」へと改元。
    12月21日 日露和親条約9ヶ条と付録4ヶ条を長楽寺で締結。
安政2 1855 3月 プチャーチン、ヘダ号で帰国。
    12月 下田奉行所、中村に完成。
安政3 1856 7月21日 ハリス、駐日総領事として下田来航。
    7月25日 ハリス、御用所で饗応を受ける。日米双方11人ずつ列席。
    8月5日 ハリス、玉泉寺入り、玉泉寺は日本最初の米国総領事館となる。
安政4 1857 5月22日 お吉、玉泉寺へ支度金25両で出仕。
    5月26日 下田協約が締結される。(日米貨幣交換比率改定)
    10月7日 ハリス、下田を発ち天城・箱根を越えて江戸へ。
安政5 1858 6月19日 日米修好通商条約、ポーハタン号艦上で締結。
安政6 1859 5月2日 横浜開港、ハリス下田を去り、玉泉寺領事館閉鎖。
    12月 下田開港場と奉行所が閉鎖。
文久2 1862 下岡蓮杖、横浜野毛に写真館を開く。
明治3 1870 11月 神子元島灯台点灯。
昭和9 1934 4月 開港80周年記念、第1回黒船祭。
昭和36 1961 12月 伊豆急、伊東―下田間開通。
昭和46 1971 1月 下田市制施行。
    11月 須崎御用邸完成。
昭和54 1979 6月 カーター米国大統領、下田でタウンミーティング。